夜中の12時を告げる古い柱時計の音で南部博士は書類から目を上げた。
どこかで風が舞っている音がする。
どうやらこの別荘の最上階にある蔵書室の窓が
開いているようだ。
博士は、そばにあった羽根を模したレターオープナーを書類の間にはさむとイスから立ち上がった。
そしてゆっくりと階段をあがっていく。
そっとドアを開けると、思った通り窓が開いていてその下にある机に突っ伏して眠っている人影が月の光でぼんやりと見える。
「健、こんなところで寝ているとまた風邪をひくぞ。」
「・・うぅん」
ブルーの瞳がうっすらと開いた
博士は健の額に手を当てた。
熱はないようだ。
「うむ、大丈夫だ」
「夢を見ていました」
まだ眠そうな声だ。
「肺炎が治ったばかりなんだから注意せねばいかん。仕事に穴を開けるようではガッチャマンとして・・」
健は大きく伸びをしながら答えた
「あぁ~あ、あいつ、何か言いたそうだったのにな」
博士はその言葉を聞いて胸がズキンとした。彼もまたジョーのことを思い出していたからだ。
クロスカラコルムから帰ってきてもガッチャマンたちに休みはなかった。
未曽有の大惨事から復興しようとする人々を見守るようにほぼ毎日世界各地へパトロールに出かけているからだ。
それは常に何かをして余計なことを考えまいとしているようにも見えた。
だがやはりレーダー前のシートに誰も座っていないのを見ると何とも言えない悲しく寂しい気持ちが胸に迫ってくるのだった。
「ジョーの夢を見ていたのかね?健・・」
博士は机と反対側にある古い長椅子に腰掛けるとポケットチーフで眼鏡を拭きはじめた。
「ギャラクター本部へ突入する直前、クロスカラコルムの草の上に横たわっているジョーの顔を一瞬、見たんです。あいつはかすかに微笑んでいました」
それは絞り出すような声だった。健は机の前に並んでいる本の背表紙を睨んでいた。
「もういい、健。その時の報告はすでに受けている」
「いいえ、博士。俺はそのジョーの屍を踏み越えて行ったのです。そして再び地上へ出たとき、せめて・・せめて拾ってやろうと思っていた骨のひとかけらも遺ってはいませんでした」
ブルーの瞳が潤んでいた。
「健・・」
健はその瞳を伏せた。長い睫毛の下に光るものがあった。
「博士、博士も覚えているでしょう?ジョーがBC島へ一人で墓参りに行った時のことを」
「うむ。あの時もひどい怪我をしていた」
博士は指先で口ひげを撫ぜた。
「あの時、俺はジョーに言ってやりました『ジョー、基地へは一緒に帰るぞ!』ってね」
そうだ、あの時は・・
健と竜がジョーをゴッドフェニックスへ運びいれる間に、ジュンと甚平がBC島を駆けずり回ってどうにか医者を二人連れてきた。
一人は外科医だったが、もう一人は高齢の女性でなんと産婆だった。
しかし、彼女はジョーの顔を見るなり『この子はペッピーノ(※)の坊やかい!』と叫んだ。
後からわかったことだが、どうやらジョーを、そしてジョーの父親も取り上げたその人だったようだ。
そしてゴッドフェニックス内でジョーの緊急手術が始まった。
南部博士がモニター越しに的確な指示を出してそれは進んでいった。
だが、ジョーは血液を大量に失っていた。
ゴッドフェニックスに保管してある救急用のものではとても間に合わない。
すると産婆のエルダが心当たりがあると言うのでジュンがゴッドフェニックスから連絡を取るとジョーと同じ血液型の男性が何人も現れたのだ。
みんなエルダが取り上げた『エルダの子供たち』だった。彼女は彼らの血液型まで覚えていたのだ。
その中にはアランの教え子たちもいた。
事情は知っていたが、ジョーが『アラン先生』の幼馴染みだったとわかると日頃からアランが教えていたことを実行するんだと言って集まってくれたのだ。
「自分が困ったときに助けてもらったらうれしいと思う人は、困っている人がいたら助けてあげましょう。復讐は復讐を呼ぶだけです。人を憎まず愛し合いましょう」
アランはこの世から消えたが、その遺志は教え子たちに、そしてまたその子供たちへと受け継がれていくことだろう。
こうして手術は無事終了した。
ジョーはゴッドフェニックスに備え付けの高気圧酸素カプセルの中に寝かされていた。
健はその寝顔を見てほっとしていた。
ちょっと笑っているようだったからだ。
何日もしないうちに包帯はしているものの驚異的な回復力でジョーは起き上がれるようになり、アランの葬列を丘の上から健とともに見送った。
そして竜舌蘭の花を散らしながらゴッドフェニックスは飛び立ち、ジョーは仲間とともに無事三日月基地へと帰還したのだった。
「ジョーの頭に残っていた傷はその時のものだったのだろうか?帰ってきてすぐきちんと精密検査をするべきだった・・」
南部博士は長椅子から立ち上がると窓辺へ行き、少しだけ開いたままになっていたその窓を下へずらして閉めた。
ふっと風の音が小さくなった。
「でも博士、アイツは検査なんか受けませんよ。『俺は不死身のコンドルのジョーさ』なんて言い張ってね」
健の言葉を背中で聞きながら博士は窓の向こうに広がっている暗い夜の海を見つめていた。
健はさらに続けた。
「もし命が助かったとしてもたくさんの管に繋がれてベッドに縛り付けられた上に食事やトイレの世話をされてまで生きていくことをあのジョーが受け入れると は思えません。もちろんそれを望むこともしないでしょう。ジョーにとってそれは死ぬことよりつらいことかも知れませんからね」
凛とした健の声が静けさを取り戻した部屋に響いた。
「そうだな・・しかし、あの子は・・私が・・」
博士の声は力なくかすかに震えていた。
彼が・・ジョーがギャラクターの子ではないかと博士はうすうす気づいていた。
ジョーの両親はただ殺害されたのではなく『処刑』されたように見えたからだ。
あの時はまだよくわからなかったが、ギャラクターがいずれ人類にとって危険な組織となるようなら敵の駒を持っていることも悪くはないと考えたのだった。
『両親の敵討ち』という言葉一つがジョーを支えていた。博士はいつしかジョーを頑張らせる魔法の言葉のようにそれを使ってしまっていた。
子供のころの孤独な日々も忍者隊としての苦しい訓練もそれで乗り越えてきたのだが・・
「私が浅はかだった・・あの時、ご両親と一緒に静かに死なせてやるべきだったのかも知れない」
健は死ぬ時は一緒と誓ったジョーを独り置き去りにしてきたことを悔いていた。
同様に博士は小さなジョーを両親から引き離して無理やり蘇生し、故郷から遠く連れ出してきたことを後悔していたのだった。
窓ガラスには暗い表情の博士が映っていたが、高く上がった月がその小ささとは逆にこうこうと輝いていた。
そう、あの日もこんな夜遅い時間だった。
南部博士は時がたつのも忘れて調べものに夢中になっていた。
その時だ。
真夜中だというのに自室のドアがコンコン!とノックされた。
「パーパ・・」
ジョーだった。
BC島から病院へ直行し、やっと傷が癒えても故郷へは帰れず、両親を失った時の記憶だけが鮮明に蘇る・・そんなジョーを南部博士は自分の別荘へ引き取って様子を見ることにしたのだ。
「どうした、ジョー。また怖い夢でも見たのかな?」
「置いてきたの、スポーツカーのおもちゃ」
前髪が汗でおでこに張り付いている。目を何度もこすったのか、目の周りが赤くなって灰青色の瞳も充血している。
父親の夢を見たのだろうか?ジョーが博士のことをパパと呼んだのは初めてだった。
「そうか、だが荷物を島へ取りに戻ることはできないぞ」
「クリスマス・・去年のクリスマスにサンタがくれたんだ。パパが頼んだの。もう会えない?」
泣きじゃくりながら大きく息を吸ったので今度は
咽て咳き込んでしまう。
もう泣くのはやめようと思えば思うほど嗚咽が止められなくなってしまっていた。
博士は小さなジョーを思いきり抱きしめると背中をそっと叩いた。
「ようし、では今年のクリスマスに私がスポーツカーを作ってやろう。何色がいいかな?」
「あ・お・・」
「わかった。男と男の約束だ」
博士はジョーの汗と涙にぬれた柔らかな頬を手で拭い軽くつねると微笑んだ。
「それでは、鼻をかんだら今日はもう寝よう」
南部博士はBC島で助けた時のようにジョーをその胸に抱くと部屋へ運んだ。
その途中でジョーはもう眠ってしまった。
博士はあの時よりもずいぶんと重たくなったものだとベッドへ寝かせながら思った。
「そうですか?俺がここに来る前にそんなことが・・ちっとも知らなかったなぁ」
健は南部博士の背中にそう言葉を投げかけた。その背中が少しだけ小さく丸くなったように感じた。
窓から見える海の向こうが少しだけ明るくなって来た。
「そろそろパトロールへ出かける時間だ、健」
「はい。・・ちょっと腹ごしらえをしてから行きます」
健がニヤリとする。
博士はその顔を見て少しほっとしたように言った
「うむ。久しぶりに二人でアレを食べるか?」
二人は階下のキッチンへと降りて行った。
博士が冷凍庫から『ISO特製ランチ A-3』を取り出すと健はVサインを出した。
いや、「2つ」という意味だ。
博士は11歳で母親を亡くした健を引き取ったころのことを思い出して頬の筋肉を緩ませた。
食べ盛りの男の子が二人もいる男所帯でも立派に育ってくれたのはこれのおかげもあっただろう。
国際科学技術庁が完璧なレシピをもとに総力を挙げて作成したもので、季節や個人のデータにより数種類のメニューが定期的に入れ替わるのだ。
電子レンジで解凍している間にコーヒーメーカーからはモカブレンドのいい香りがしてきた。
「それでギャラクターが自滅した原因はわかったのですか?」
健がサーバーからカップへコーヒーを注ぎながら訊いた。
「いや。君の報告通り最後の分子爆弾がマントル層内ではなくギャラクター本部の装置内で爆発したことはわかった。そしてそれは機械の歯車が外れたことによるものだということもわかった。だが、その外れた原因というか理由がどうしてもわからないのだ」
博士はスプーンでコーヒーをかき混ぜながら静かに答えた。
「ジョーが何かしたのかも知れませんね」
「あの身体でか?」
「そういう男ですよ、アイツは」
健はコーヒーを一口すすると息をついた。
「うむ。理論的ではないし科学的裏付けもない・・が、しかしそれは考えられるな」
「いま、クロスカラコルムの土を分析しているのでしょう?」
「あぁ、そうだ。全てを掘り返している」
コーヒーを口に運ぶと博士は答えた。
「何か出てきたらわかるかも知れませんね。例えば、ジョーの羽根手裏剣の痕跡とか・・」
チーン!
健の言葉には南部博士ではなく、電子レンジが応えた。
「へ、これも科学か。科学って
美味いなー♪」
そう言いながらランチを頬張っていた小さなジョーの声が聞こえたような気がした。
(おわり)
※ジュゼッペの愛称
