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スナフキンの花嫁

夏を迎えたムーミン谷は、晴れわたった空の下、今日もゆっくりと時が流れてゆきます。
いつものように川岸で釣りをしていたスナフキンでしたが、ウキはピクリとも動きません。
「うーんっ」伸びをしてそのまま後ろへ身体を倒すと見えるのは青い空だけ。
帽子を顔の上にかぶせると、しばらくのあいだ風の音を聞いていました。
しばらくして風がやんだので目を開けてみると小さな雲がひとつ浮かんでいました。
「ムーミンだな。あの雲の形は。」そういって起き上がるスナフキン。
「もう少し川上へ行ってみよう」そう小さくつぶやくと、竿を上げ釣り糸をそれに丁寧に巻きつけました。
片方の手で上着のすそを払うと「そんな汚い格好では女の子にもてないわよ。」と言われたことを思い出して、ちょっとだけ首をすくめクスリと一人笑いをしました。
そしてその手でバケツを持つと森の方へと歩き出しました。


 森の中は涼しい風が吹いて気持ちがよく、釣果は無くてもスナフキンはそれだけで満足でした。
大きく深呼吸をしたその時です、ウキが小さく揺れました。
「来たか!?」
竿を上げてみましたが何も掛かってはいませんでした。針が「残念でした」とでもいうようにキラリと光りました。
 しかし次の瞬間スナフキンは川の向こう岸をどこから来たのか小さなボートがゆっくりと流れていくのを見つけました。そして恐ろしいことにそのボートには矢が2本突き刺さっていたのです。
 考えるよりも先に身体が動いていました。腰の辺りまで水につかりながらボートに近寄るとこれ以上流されないように岸につけました。
中を覗いてみるとそこには、亜麻色の長い髪をした女の子がひとりうつぶせになって倒れていました。
お日様の光でその子の髪は金色に鈍く光っています。
(ま、まさか死んでいるんじゃ…)
でもその娘に矢は刺さっていませんでした。
「きみ、しっかりしたまえ。大丈夫かい?」
ボートに乗り込むとスナフキンは彼女を抱き起こしました。
透き通るように真っ白いその顔に血の気はありません。目は閉じられていましたがカールした長いまつげがかすかに動きました。おでこやほほに付いた泥をやさしく拭ってやると、ほんの少しまぶたが開きました。
美しいエメラルド色の瞳がスナフキンのチョコレートブラウンの目を一瞬見つめました。
「ヨク…サ…ル…?」
小さな声でした。しかし、はっきりとヨクサルの名を呼ぶと再び気を失ってしまいました。
「ヨクサルを…僕のパパの名を…なぜ?なぜこの子が知ってるのだろう?」
そのとき、スナフキンは、はっとしました。お日様がもう真上に来ているというのにこの子の身体は氷のように冷たいではありませんか。
「いけない!暖めてやらなくては。そうだ、この近くにクラリッサの家があるはずだ。」
スナフキンは女の子を抱き上げると、ボートからひょいと岸に飛び移り歩きはじめました。
クラリッサの家へ行くまでの間、ヨクサルと女の子の関係をいろいろと考えましたが見当もつきません。

「おーい、アリサー!クラリッサー!いるか?い!」
両手が塞がってるスナフキンは、クラリッサの家の前でドア越しに大声で呼びかけました。
でも家の中はしんと静まり返っています。
「まだシャーロンの洞窟へほうきを取りに行ったままか。」
スナフキンは背中でドアを押してみました。するとドアは簡単に開きました。
「無用心だなあ。ま、この辺には泥棒はいないし、いたとしても金目のものはないしな。」
向き直って中に入ると少しだけ何か薬のようなにおいがしました。前にここでヘビに縛られたことを思い出してぶるっと首を振りました。
「アリサの部屋へ運ぼう。アリサ、部屋を借りるよ。」
そう独り言でつぶやくと女の子を二階の部屋まで運びベッドに寝かせました。
「元気になるかなあ。」
スナフキンはこの子が目を覚ますまでここにいてやろうと思っていました。
「ムーミンのところへ行ってママに何か作ってもらいたいけど、目を覚ました時に一人ぼっちではかわいそうだからな。」
ベッドサイドの椅子に腰掛けると小さな音でそっとやさしくハーモニカを吹いてやりました。

窓から射すお日様の光が少し傾きましたが、かえって日差しは強くなりました。スナフキンは恐る恐る女の子のおでこに手を当ててみました。ほほにうっすらと赤みが差していました。
「よかった。少し空気を入れ替えよう。」
スナフキンが窓を開けると新しい空気が風となって部屋の中に入ってきました。
「んー、いいきもちだ。」もう片方の窓を開けようとしたときです
「こ…こは…ど…こ?」
思わずスナフキンは窓から空を見上げてしまいました。天使が舞い降りてきて自分に話しかけたのかと思ったからです。
「気が付いたんだね。」
そういいながらベッドを覗き込んでスナフキンはハッとしました。
大きく開かれたエメラルド色の瞳に涙が溢れそうになっていたからです。
「ここは天国ですか?わたくしのパパとママはおりますでしょうか?」

女の子のどこか気品のある言葉遣いとその言葉に驚きながらもスナフキンは平静を装って静かに話すのでした。
「残念ながらここは天国じゃないよ。君はまだ生きてるからね。」
出来るだけやさしく言ったつもりでしたが女の子の目から大粒の涙がこぼれました。
「パパもママもみんな死んでしまったわ。殺されたの!」
枕に顔を押し付けるようにして、女の子は激しく泣きじゃくりました。
スナフキンはその言葉に本当に驚きました。そして女の子が乗っていたボートに矢が突き刺さっていたのをまざまざと思い出しました。
「き、君も殺されそうになったんだね。」

スナフキンはこの子に聞きたいことがたくさんありました。でも今はひとつだけにしようと思いました。そして大きく息を吸うとこう言いました。
「ねぇ、君。名前を教えてくれないかい?僕はスナフキン。」
「わたくしは…」
まだ涙声でしたが顔を枕から少し離して手でほおをなで、顔を上げるとエメラルド・グリーンの瞳でスナフキンの顔をじっと見つめ
「わたくしは、シエナレイ・ヌフモンテ・デュール・ユイリンケイリスと申します。クリスタル王国の王女です。」と一気に自己紹介を終えた。
スナフキンがあっけにとられていると目を伏せ
「…いえ、ごめんなさい。クリスタル王国はなくなりました。父も亡くなったのでわたくしは王位を継げませんでした。」と彼女の話は続いた。
「アイリス…と呼んでください。王位継承権がなくなったときの名前です。してそちの名は…あ、ごめんなさい。もう普通の言葉を使いますわね。あなたはスナキンというのですね。ムムリクの一族でヨクサルという人に似てますわ。」
「そう!そのことなんだけど。」
スナフキンが思わず大きな声を出したのでアイリスはびくっとして、ベッドの上に起き上がってしまった。
「ごめんね。怖い目にあってきたのにまた脅かしてしまって。」
「ううん、もう大丈夫ですわ。ありがとう、スナフキン。私を助けてくれて。あなたもムムリクなの?」
「気になるかい?」
マクラを立てて起き上がったアイリスの背当てになるように直しながらスナフキンは訊ねた。
「ありがとう。ええ、気になるわ。だってムムリクのヨクサルはクリスタル王国の救世主で名誉国民だったのよ。」
「へえ、そいつはすごいな。残念だけど僕はムムリクの血筋は半分しか受け継いでないんだ。ママはミムラだからね。でもそのヨクサルというのは僕のパパだよ。君がヨクサルを知ってるってことは君は見かけによらず、長く生きているのかい?」
スナフキンは椅子をちょっとだけベッドに近づけるとちょっとおどけてそう言いました。その時はじめてアイリスの顔に少しだけ微笑が浮かびました。それは朝露にぬれて咲いた深紅のバラのようでした。
「あぁ、やはりそうでしたか。あなたがスヌスムムリクだったのですね。旅の途中だったヨクサルが貧しかったクリスタル王国に来て私の父と母の縁結びをした のです。そして持っていたリンゴとリンゴの種で王国を飢えから救い名誉国民となったのです。もちろん、私が生まれる前の話ですが。」
「ヨクサルはずっとクリスタル王国にいたの?」
スナフキンは自分が知らなかったヨクサルの話を聞きたくて、立ち上がってアイリスにグッと近づこうとしましたが、思い直して椅子の向きを変えると背もたれの上にひじを乗せて、頬杖をつくと「長い話を聞く体制」になりました。

アイリスはじっと前を見据えてこれまでのことを話し始めました。

☆☆.。.:*・゜*:.。.☆☆.。.:*・゜*:.。.☆☆.。.:*・゜*:.。.

その年の夏は、雨ばかり降る寒い日が続いてとうとう作物は育ちませんでした。クリスタル王国のフィスクランテ王は心を痛めていました。
「これでは、秋の収穫祭は出来ないなあ。そこで私の花嫁を選ぶはずであったのに。それどころか飢えて死ぬ国民も出るかもしれないぞ。」
 そんなことを考えていると、どうも外が騒がしい。そこでバルコニーから外を見てみると、三角形の帽子を被った旅人らしき男が一人、城の護衛たちともめているところでした。
「どうした?」
「はっ、この男が突然ここにリンゴの芯を捨てたので…。」
「捨てたんじゃありませんよ。芯ごと種を植えようとしたんです。」
「いい加減なことを言うんじゃない。今年は麦の穂ひとつ実らないひどい凶作なんだぞ。」
「そういう時こそ、このリンゴは良く育つんだ。そういう品種なのさ。」
そんなやり取りを聞いていた王様は、バルコニーから身を乗り出してこういいました。
「その男の好きなようにさせてやりなさい。してそちの名はなんと申すか?」
「えっ、僕はヨクサル。」

こうしてお城の前庭に植えられたヨクサルのリンゴの木はその二日後、一日だけ雨がやんだその日の夜が明けるとバルコニーのはるか上まで成長したのでした。そしてあっという間にたくさんのリンゴの実を実らせ、また雨が降り出す頃にはその全てが収穫できたのです。
こうしてその年の夏は暑くならずにとうとう終わってしまいましたが、秋の収穫祭が来るまでにもう三回、リンゴは実りました。そのどれもが今まで食べたことが無い美味しさでクリスタル王国の国民たちは皆幸せな気持ちでいっぱいでした。

いよいよ収穫祭が始まり、フィスクランテ王のお妃選びのパーティーが始まりました。花嫁候補の娘たちは精一杯のおしゃれをして王様とダンスをするのです。 ダンスが始まる前に王様は集まってきた国民の前でヨクサルを紹介するとその功績をたたえてクリスタル王国の名誉国民としたのでした。
 やがてそのダンスパーティーも終わりに近づき王様のお妃選びが始まりました。高らかにラッパが鳴ると美しく着飾った娘たちが王様の前に並びました。
しかし、フィスクランテは彼女たちの前をつかつかと通り過ぎると会場の隅にある大きな柱の陰に隠れるようにしていたソーフィンナのところへいくと片ひざをついて彼女の手をとると「私の妃になってくれますか?」と、正式のプロポーズをしたのでした。
 見守る国民たちがあっけにとられているとき一人、大きな拍手をしたのがヨクサルでした。
「僕も彼女がいいなと思っていたんだ。」

*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*

「こうして、パパとママは結ばれ私が生まれたのです。」
「きみもヨクサルに会ったの?」
「いいえ。私が生まれたとき、彼はもうクリスタル王国にはいませんでした。しばらくはリンゴの木の上で何もしないで暮らしていたらしいのですが、また冒険 の旅に出たのです。でも旅立ちの前にパパが国中で一番の絵描きにヨクサルの肖像画を描かせたのです。生まれてくる子にこの国の英雄を見せるためにね。」
「信じられないなあ、父さんがヒーローだなんてさ。」と、スナフキンは少し照れて言いました。
「でもあなたはその肖像画にそっくりですわ。」
そういってスナフキンを見つめるアイリスのエメラルド色の瞳はキラキラと輝いていました。

その時です。窓の外でミィの声がしました。「スナーフキーン!」
「ミィ、ここはクラリッサの家だよ。」とムーミン。
「でもさっきこの辺で確かにスナフキンの声がしたのよ!釣りの道具をほったらかしにしてあったのよ、何か面白いものを見つけたに決まってるわ!スナーフキーン!」

「やぁ!ミィ、ムーミン!」
スナフキンは2階の窓から身を乗り出して声をかけると、
「本当のお姫様を見たくはないかい?」とムーミンにたずねました。
「ほ、本当のお・ひ・め・さ・ま…?!」

「スナフキンったら、もう私は王女ではありませんわ。」
「えーっ!ねえ、どうして王女様やめちゃたのよー。」と、ミィ。
「そうだよ。ぼくだったら絶対やめないよ。」と、ムーミン。
「ちょっとアンタ、男の子が王女になれるわけないでしょ!」

そんなミィとムーミンのやりとりを微笑みながら聞いているアイリスを見てスナフキンはホッとしました。そして悪夢を忘れようとしている彼女を愛(いと)しく思うのでした。

もう夕方です。みんなでムーミン屋敷に帰ることにしました。

「まあまあ、スナフキンがお友達を連れてくるなんて珍しいことがあるものねえ。歓迎しますよ、アイリスさん。」と、ムーミンママは特製のスープを夕食に出してくれました。
「ママったら、アイリスでいいのよ。もう王女様じゃないんだから!」と、ミィ。
「あら…そうなの。」
「その話はまた明日でもいいじゃないですか。」とスナフキン。「じゃ、僕はそろそろ失礼しますよ。ママ、ご馳走様でした。パパ、おやすみなさい。ムーミン、アイリスをたのんだよ。」
ムーミンは大喜びでしたが、ママにアイリスは疲れているようだから今夜はそっと寝かせてあげるようにといわれて、元気になったら一緒に遊ぶ約束をして眠りにつきました。

次の日の朝早くアイリスはムーミンママに教えてもらった湖へ一人で向かいました。ムーミンやミィはまだ夢の中でした。
湖面には朝霧がたちこめていましたが、スナフキンはもう一人で木の根っこのベンチに腰掛けて釣り糸をたらしていました。
「釣れるの?」
「いや。」
アイリスが後ろから声をかけたにもかかわらず驚く様子もないスナフキンは、振り向きもせずに少し背中を丸めた「釣りの姿勢」のままぶっきらぼうに答えました。
「おはよう、アイリス。よく眠れたかい?」
「ええ、おかげさまで。隣りに座ってもいいかしら?」
「ああ。」
「ムーミンママがたぶんここだろうから、コーヒーとジャムパンケーキを持っていきなさいと教えてくださったの。」
そういってアイリスが差し出したバスケットには小さなリンゴもひとつ入っていました。
「このリンゴは?」とスナフキン。
「これは………。これがサー・ヨクサルが伝えてくれたリンゴの実ですわ。最後のひとつです。たぶん…。」
「えっ…」
「私の服のポケットに入っていたんです。夕べ寝たときに思い出して…。」
スナフキンは黙ったままでした。アイリスは続けます。
「ママにリンゴジャムにしてもらおうと思って話したら、これはスナフキンに見せなさいといわれました。そして私の国に起きたことをみんな話してくるようにとも言われました。ママは、もう大体のことを察しているみたいでしたわ。」

☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;;:**:;;;:*☆

ヨクサルがクリスタル王国から旅に出たあとも彼のリンゴの木とフィスクランテ王とその王妃ソーフィンナのおかげで国民たちは静かで平和な日々を過ごしてい ました。そして王女のユイリンケイリス(アイリス)が誕生してからは王室にも国民にもますます幸せで穏やかな毎日が訪れていました。

 ところが来年の収穫祭にはいよいよユイリンケイリスの許婚(いいなずけ)を決めようとしていたとき、海の向こうのゴルギン公国から使者とは名ばかりの軍隊がやってきて、全てのリンゴの木と王女をよこせと迫ってきたのです。
リンゴは、種や苗木があればいくらでも増やせるから差し上げることは出来ますが、王女はこの世にたった一人です。それにゴルギン公国のステッケン公にはすでに5人の王妃がいるのです。フィスクランテ王は話せばわかることと言ってきっぱりとこの話しを断りました。

ところが、ステッケン公は逆上してクリスタル王国を攻めてきました。
平和に暮らしていたクリスタル王国の国民は武器など持ったことがありません。あっという間に国中が火につつまれてリンゴの木は全て燃えてしまいました。
「王女をワシの妃に差し出せば王の命だけは助けてやるぞー!」
しかし、王と王妃は侍従のマローンと共に王女をそっと国外へ逃がしたのです。
ついに宮殿を占領したステッケン公でしたが、肝心の王女の姿が見当たりません。
「くっそー!国外へ逃げたな!追え、追うんだ!!生け捕りにしたものには金貨50モガン、亡骸(なきがら)を見つけたものには銀貨50モガンをやるぞーっ!」

王女と侍従のマローンは、追っ手を逃れようともうどこをどう逃げたかわかりません。昼も夜もずっと走り続けましたが、ステッケン公の軍隊は追いついてきます。
そしてついに大きな川にたどり着きました。が、弓矢がどこからともなく飛んできます。
「さあ、王女さま、これに乗って逃げるのですよ。」古くて小さな舟が一艘、川岸にありました。

ビュン、ビュン!矢は舟に刺さりましたが王女には当たりませんでした。
しかし「うっ!」
「マローン!」
「王女様…私は…だ、大丈夫です。逃げて…ください。生きるのですぞー!!」
マローンは最後の力を振り絞って舟を押しました。舟はゆっくりと動きはじめました。
「マローン、パパ、ママ…さようなら。サー・ヨクサルに会いたかった…。」
もう、ステッケン公の軍隊も追っては来ないでしょう。

☆*゜ ゜゜*☆*゜ ゜゜**☆*:;;;:*☆*:;;;:

アイリスが話をしている間ずっと動かないウキを見つめたままだったスナフキンが、口を開きました。
「これからは、ずっとここで暮らせばいいさ。僕も旅に出るのはやめてここでずっと……」

「スナーフキーン!」
口々にそういいながら走ってきたのはムーミン、ミィ、スニフ、フローレン、スノークでした。
「やあ、どうしたんだい?みんなそろって。」
「やーねー、スナフキンたら忘れちゃったの?今日はヘムレンさんのところへ新しいランの花を見に行くって前から決めていたでしょ?」
「あー、そうだったね。アイリスも行くだろ?」
「ええ、もちろん。」そういってアイリスは小さな最後のリンゴをもう一度そっとポケットにしまいました。

ヘムレンさんの家で、とても良いにおいのするランの花を見た後、アイリスは良いことを思いつきました。
「ヘムレンさん、私、故郷からリンゴをひとつ持ってきたのですけれどもみんなで少しずつ分けて食べた後、このお庭に『芯ごと』種を植えてもいいかしら?」
「あー、いいですとも。きれいなお嬢さんの頼みじゃ断れんからの。それにちょうどこの辺に何か植えたいと思っていたところなんじゃよ。」
「よかった。」

こうしてクリスタル王国最後のヨクサルのリンゴは、ヘムレンさんの庭に根を張ることになりました。

「来年はもっとたくさん食べられますね。」スナフキンも嬉しそうです。

ムーミン谷の夏はこうして平和な毎日の中、過ぎて行きました。


ムーミン谷の短い夏も終わりに近づき、おさびし山の向こうから涼しい風が吹いてくるようになりました。
その風が、テントをバタバタとゆらしたのでスナフキンは目を覚ましました。
「あ…、夢だったのか。よかった…。」
スナフキンは珍しく恐ろしい夢を見ていたのです。それは、川を下る小さな舟に大きな矢が刺さる夢でした。

スナフキンは胸騒ぎを覚えて、テントを出るとムーミン屋敷へ向かいました。

朝早いというのにムーミン屋敷の煙突からはもう煙が上がっていました。ムーミンママとアイリスがすずめよりも早く起きてコーヒーを沸かしているのです。
アイリスは、ムーミン屋敷に寝泊りをして「将来のために」ムーミンママから料理や掃除、洗濯などの家事を習っていたのでした。
「あら、スナフキン。早いのねえ。今ちょうどアイリスがコーヒーを淹れたところよ。飲んでいくでしょう?」と、ムーミンママはにっこりと微笑みました。
「ええ、ママ。そのコーヒーをポットに詰めていただけませんか?アイリスと一緒にいきたいところがあるんですよ。」と、スナフキン。
ムーミンママは二人でどこへ行くのか、なんてそんな野暮なことは聞きません。でもあとで起きてきたムーミンやミィたちにはなんて言おうか?それを考えていました。

スナフキンは黙ったまま、森の方へとどんどん歩いていきます。アイリスも何も言わずに彼についていきました。
そして、あの日アイリスを乗せた船を見つけた場所に来たのでした。でも、そこに舟はありませんでした。
「しまった。やっぱり流されていたか…。もう、海へ出てしまっただろうなぁ…」
アイリスにもその意味がすぐにわかりました。
ステッケン公の軍隊が放った矢が刺さっている舟です。海に出た舟を彼らが見つけたら潮の流れをたどってきっとムーミン谷に来るでしょう。

「すまない。アイリス。もっと早く気がつくべきだったよ。」
「私、どうしたらいいの?」
アイリスは急に不安になりました。
「今日はムーミン屋敷には帰らないほうがいいかもしれない。森の中のクラリッサの家を覚えているだろ?あそこの方が安全だよ。」
「スナフキン、でも…。」
「大丈夫。僕がついている。君をどこへもやるもんか。」

二人はクラリッサの家へ急ぎました。
しかし、そこに待っていたのは…。

ミィとスニフでした。

「ミィ、スニフ…。どうしたんだい?」
ミィはなぜか怒っていてプンっと横を向いています。
「ス、スナフキンが…いけな…い…んだ…」スニフは弱々しい声で言いました。
「僕が?僕が何かしたのかい?」
ミィが口を開きました。
「アンタがアイリスをムーミン谷につれてくるからじゃない!?」
スニフはとうとう泣き出しました。
「だってアイリスがどこにいるか言わないと、ヒドイ目にあわせるって言われたんだよー!」
「まさか…。それで…?」
「スニフが明日のお昼までに見つけて連れてくるって約束しちゃったのよ。」と、ミィ。
「だって、ムーミンたちは殴られちゃったんだよ。ぼく、痛いのヤだもん。」スニフは涙が止まりません。
「ム、ムーミンが殴られたって?!」スナフキンは自分の耳を疑いました。
「アイリスのこと知らないって言ったからさ。パパもママも…」
「な、殴られたのかっ?」
「ううん、突き飛ばされた。ムーミンをかばって…。」スニフの声は震えていました。
「わかったでしょ?スナフキン。」と、ミィ。
「…アイリスを渡すわけにはいかない…。」
「なーに言ってるのよ、スナフキン。ムーミンはね、最近スナフキンが遊んでくれなくなったって言って寂しがっていたのよ。それはみんなアイリスのせいだっていうのに、ムーミンたらアイリスまでかばってさ。」
ミィの言葉にスナフキンは返す言葉がありません。
そのとき、スナフキンの後ろで震えながらずっと泣いていたアイリスが、頬の涙を両手の甲で拭いながら言いました。
「明日の朝…、明日の朝、ムーミン屋敷にアイリスが帰るとステッケンに伝えてください。そして私が来るまでムーミンたちに暴力を振るわないと約束させるの です。いいわね、ミィ、スニフ。シエナレイ・ヌフモンテ・デュール・ユイリンケイリスの名前において約束したといえば大丈夫だから。」
「わ、わかったわ。」さすがのミィもアイリスの決意におされ気味です。
「シエナレイ・ヌフモンテ・デュール・ユイリンケイリス…だね…」スニフはこういうときにはすごく物覚えがよくなります。
「ちゃんと伝えるからねー」そういい残してミィとスニフは日が暮れかかった道を走り出しました。

「アイリス…、き、君…。」
「いいんです。スナフキン。いつかこういう日が来るような気がしていました。お別れの前にひとつお願いがあるのです。聞いてくれますか?」
「あ、ああ…。」
アイリスのエメラルドグリーンの瞳はスナフキンのチョコレートブラウンの瞳をじっと見つめていました。彼女の瞳にはスナフキンが映っています。

「わたくしと、結婚してくださいませんか?」

夕日が真っ赤に燃えてアイリスの白い顔も亜麻色の長い髪も茜色に染まっていました。

「あぁ…、アイリス…もちろんだとも。」
「スナフキン…。」
アイリスはスナフキンの胸に飛び込むとマフラーに顔を押し付けて声を出さずに泣き出しました。
スナフキンはアイリスを強く抱きしめると、
「アイリス。愛しているよ。君がどこへ行ってしまおうとも。ずっと…。」
そう言うのが精一杯でした。
アイリスはマフラーに顔をつけたままうなづきました。
「二人で、二人だけの結婚式をしよう。」スナフキンはそう言ってアイリスの背中をやさしくなでるのでした。

クラリッサの家の中は、あの夏の日のままでした。
蝋燭に火を灯すと二人はほの暗い光の中でまたお互いをじっと見詰め合うのでした。アイリスが目を閉じるとスナフキンは彼女の頬を両手で包むようにしてその唇にキスをしました。明るい春のお花畑にいるような気持ちになりました。
でもアイリスの目からは真珠のような涙がこぼれ落ちてきます。
「私…もう泣かないわ。こんなに幸せなんですもの。」
スナフキンはその『最後の涙』をやさしく拭ってやると、もう一度確かめるようにアイリスを抱きしめて
「これで、僕たちは結ばれたね…。」
そう言うと蝋燭の火を消しました。


次の日の朝、ムーミン谷のムーミン屋敷の前にはゴルギン公国の騎馬隊がずらりと並んでいました。楯と槍が朝日に鈍く光っています。
その後ろには弓矢を携えた歩兵師団が身じろぎもせずに集合していました。
白馬にまたがったヒゲ面の小男が騎馬隊の前に出ると、兵隊たちはいっせいに『かまえつつ』の姿勢になりました。
「スニーフ!!出て来い!!」
その男、つまりステッケン公のガラガラ声がムーミン谷にこだまします。
「…へ…へ…、ふぁい…」
弱々しい返事をしながらスニフがおずおずと出てきました。
「貴様の言った朝になったようだな!」
「は、はい。ステッケン公様。で、でもお昼が来るまでは朝ですから…。」
「ん、ふっふっ。上手いことを言いよるわい。で、どうなんだ?昼までに来るのか?」
「ですから、そのシエナレイ・ヌフモン…」
「うっ、あ…。その名を言うな。貴様のような身分の低いものが、口に出来る名ではないぞ。」
その時、ステッケン公の背中を緋色のマントの上からポンポンッとたたくものがいました。
「いいか、身分の低いものが気安くポンポンと背中をたたく…うん?」
ステッケン公が後ろを振り向くとそこにはアイリスが一人で立っていました。
長くおろしていた亜麻色の髪をきちんと結い上げ、その顔は少し青白く血の気が薄らいでいたものの、凛とした決意がエメラルド色の瞳に現われていました。

「ステッケン!わらわの前でそのようなみっともない言動は許しませんぞよ。恥を知りなさい!」
「こ、これはこれはシエナレイ・ヌフモンテ・デュール・ユイリンケイリス殿…ご機嫌麗しゅうございます。」
「そちにわらわの名を呼ばれとうないわ!」
「しかし…」
「ステッケン!」
「ははっ!」
「ムーミンたちに陳謝するのです。」
「ち、チンシャ?…」
「謝るのです。」
「あ、あやまる?」
「たわけ者!武器も持たずに平和に暮らしている者たちにステッケン、そちはなにをした?!言うてみい!」
アイリスの凛と張りつめたそれでいて美しい声がムーミン谷にこだましました。それは、いままで見たことがないアイリスのクリスタル王国最後の王女としての姿でした。

「あの…、アイリス…。」
口を開いたのはムーミンでした。
「なあに?ムーミン。」
そうこたえるアイリスは昨日までのやさしいアイリスでした。
「あの、ぼく。ごめんなさい。スナフキンと遊びたくてアイリスなんかいなくなっちゃえって言ったの‥。」
「ムーミン。謝るのは私のほうだわ。私をかばって昨日ステッケンにぶたれたんでしょう?大丈夫だった?痛かったでしょう?」
ムーミンは黙って首を振りました。
そして、ミィも
「アイリス、昨日はちょっと言い過ぎたわ。」
「ううん、ミィの言うとおりよ。私あなたのこと大好きよ。遠くへ行ってもみんなのこと絶対に忘れないからね。…ヘムレンさん、あのリンゴの木。お願いね。」

「皆のもの!引き上げじゃあ!」
そういうと、ステッケン公は馬に乗ったまま信じられないほどの強い力で乱暴にアイリスを抱え上げると自分の前に乗せました。
「んー、ふっふっ。やっと私のものになったなあ。」

ムーミンは、はっと気がつきました。
「ス、スナフキンは?」
アイリスはそれには答えずに髪留めの飾りをはずすと
「ムーミン、これをスナフキンに渡してちょうだい。私が、私のママからもらった形見のダイヤです。頼んだわよ、ムーミン。」
「だ、ダイヤだとぉ?」
ステッケンは目を丸くしました。
が、しかしすかさずアイリスが
「ステッケン!出発しないのですか?私を置いて行ってくれても良いのですよ。」
と、切り返すと
「えぇーい!皆のもの、引き上げじゃ!帰るぞー!!」
「おーっ!」
言うが早いかステッケン公の軍隊は風のようにムーミン谷から去って行きました。


秋の冷たい風が吹くムーミン谷に、スナフキンのハーモニカがどこからか聞こえてきます。それは、今までに聞いたことのない悲しいメロディーでした。

(おわり)



2007年12月ごろ執筆

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